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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)3138号 判決 1965年1月27日

控訴人 野沢フミ子

被控訴人 小沢喜代

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一、控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対して金二七万六八〇〇円及びこれに対する昭和三四年九月二八日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二、当事者双方の主張は原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

三、証拠<省略>

理由

一、控訴人が訴外亡小沢兼とその先妻清田チカとの間に生れた子であること、被控訴人が小沢兼の死亡当時の妻であつて、その間に節子、正明、智子、省三の四人の子のあること、小沢兼は死亡前理研健康組合に勤務し、昭和三三年四月一五日、在職中死亡したこと、同人の死亡により右組合の職員退職給与金支給規則に基いて右組合から遺族に支払わるべき死亡退職金が金二二八万六、〇〇〇円であつたことは、当事者間に争がない。

二、原本の存在及びその成立について争のない甲第二号証(覚書)及び甲第三号証(領収証)、原審における証人宇野邦房、当審における証人中村隆昭の各証言並びに原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は昭和三三年九月二日訴外組合の職員と相談のうえ、前記退職金二二八万六、〇〇〇円のうち金二〇〇万円を子女の養育費に充てるため、東海銀行新宿支店に被控訴人名義で預金をし、金七万六〇〇〇円を現金で右組合から交付を受けて以上二〇七万六〇〇〇円を受領した(その余の金二一万円は相続税として納付したものと推認される。)ことが認められ、この認定に反する証拠はない。

三、そこで訴外組合の職員退職給与金支給規則に定める死亡退職金の受給権者について考察する。

(一)  原本の存在及びその成立について争のない甲第一号証によれば、訴外組合の職員退職給与金支給規則第六条には、「職員が死亡した場合は組合で認める遺族又は之に準ずる者に支給する。」と規定している。これによれば右規則は死亡退職金の受給権者を「遺族又はこれに準ずる者」と定めているだけであつて、具体的な場合に死亡した職員といかなる関係にあつた者に支給するのか、必ずしも明らかではない。

控訴人は、死亡退職金は職員の死亡を不確定期限とする賃金の後払の性質を有するから、当然に相続財産に含まれると主張する。

しかし、退職金は、通常、労働契約によつてその内容、性質、財源、支払方法等について定められるものであるから場合によつては贈与、賃金の後払等の性質を持ち得ないではないが、何らこれらの点について定のないときは、賃金の後払の性質をもつのではなく、むしろ企業者の労働者に対する保障義務に由来し退職後の労働者の相当期間の生活保障の性質をもつというべきである。すなわち、退職金は、退職金支払義務者とその受給権利者との間に労働契約関係の存在することを前提とし、この関係より生ずるものであるがそれは一般の賃金、手当、賞与などとは異つて、労働契約の終了によつてはじめて具体的な権利となるものであつて、法律的にみれば労働力の提供に対する反対給付の関係にあるものとはいい難い。蓋し一般的に退職金なるものは、それが一時的退職金であれまた一定期間の年金制のものであれ、労働者が一定期間企業者との間に従属関係即ち労働契約関係に在つたことを前提とし、その期間は退職金額の算定に加味されるのが普通であるが、退職金額の規定は決して単に右期間のみから割出されるものではなく、企業自体の成長乃至利益の見とおし、企業の支払能力、労働力の能率的保持増進(熟練労働者の確保、老年による能率減退者の排除)、退職労働者の生活保障(此によつて同時に老年者の排除、優秀な労働者の就職乃至その確保が助長される)等其他企業経営上の各種の要素が加味された上、労資の契約によつて定められるからである。従つて退職金を一般に賃金の後払とする説は、特にその実体を備え又は労資間の契約の内容上それが確定されている場合は格別として、著しく事の実体に反する説であつて、賛成し得ない。尤も労働基準法第一一条の規定によりすれば、退職金も正に同条に所謂「賃金」の中に包含されるが、同法の規定は広く労働関係より生ずる給付を同法に於ける資金と指称するにとどまり、逆に此の規定を以て退職金の性質を賃金の後払と定義したものとは解されない。従つて同法条の規定は当裁判所の前記の解釈と矛盾するものではない。そして退職金の性質乃至目的としての労働者の生活の保障とは、当該労働者及びその労働者と生活を共にする者、或はその労働者によつて扶養されている者の生活の保障を意味することは言うまでもない。

労働者が死亡した場合に支給される死亡退職金においても、受給権者をいかなる者にするかの点について具体的な労働契約によつて若干の相違はあり得ても、受給権者が当該労働者でないというだけであつて、法律上の基本的性質としては生前の退職金と異るところはない。すなわち労働契約のうち死亡退職金に関する条項は、受給権者を受益者とするいわゆる第三者のためにする契約であり、その性質は特別に規定していない場合は、死亡した労働者と生活を共にしていた者、主としてその収入によつて生活を維持していた者、或はその労働者によつて扶養されていた者の生活の保障にある。そして死亡退職金は当該労働者の死亡によつてはじめて受給権者に支給されるものであるから、仮に受給権者が法律上の相続人であつたとしても、受給権者は相続によらず、直接これを自己の権利として取得するのである。(この点につき、相続税法第三条一項二号の規定は課税上の便宜を主としたものであつて、これによつて逆に死亡退職金の私法上の性質が規定されていると解すべきではない)本件においても前記甲第一号証職員退職給与金規則第六条の文言からしてもまた其他本件に現われた全資料からしても、これと異つて解すべき余地は認められない。

控訴人は、右規則第六条が「職員が死亡した場合は組合で認める遺族又は之に準ずるものに支給する。」とあるところをもつて、本人の死亡を停止条件として、相続人に対してその法定相続分に応ずる金員を支払うことを定めた契約であると主張しているが、これは要するに相続財産に含まれるという主張に他ならず、このように解することのできないことは既に述べたとおりである。

(二)  そこで、「遺族」及び「これに準ずる者」について考察する。これについては、前記規則には何らの定めもなく、またこれを決める手がかりもない。従つて、契約当事者の意思、支払慣行、死亡退職金の性質、類似の制度の検討などを通じて決めるほかはない。

当審における証人中村隆昭、土井良一の各証言によつても未だ訴外組合の支払慣行がいかなるものかについて明らかではないが、以上の証言と原審における証人宇野邦房の証言を総合すると、訴外組合としては小沢兼と生活を共にしていた妻と子のみを遺族として取扱つていたことが認められる。

一方、社会保障関係の諸立法(例えば国家公務員等退職手当法、国家公務員共済組合法、恩給法、労働者災害補償保険法、中小企業退職共済法など)で採られている遺族給付の制度を通観してみると、それぞれの法律で遺族の範囲についての定義規定を設けているけれども、いずれも少くとも、配偶者(死亡当時事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む。)と子、父母、孫及び祖父母で勤労者の死亡当時主としてその収入によつて生活を維持し、生計を共にしていた者を遺族としていることは明らかである。法律(例えば国家公務員等退職手当法)によつては、右以外の子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹をも遺族に含めている場合もないのではないが、一般に遺族というときは、配偶者及び相続人を意味するよりも寧ろ死亡者の配偶者及びこれと生計を共にし、それによつて生活している子、父母、孫、祖父母等を指称する例が多く、それ以外の子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹は遺族に準ずる者に該ると解するのが相当と思はれる。

以上の遺族等に関して説示したところと既に述べたように死亡退職金も退職金であり、即ち死亡した労働者と生活を共にし、或はその労働者によつて扶養されていた者の生活保障の性質をもつ点を考慮すれば本件においても前記規則第六条にいう「遺族」とは亡小沢兼の配偶者及び同人と民法上扶養義務関係に在つて同人と生活を共にし且つその収入によつて生活していた子、父母、孫、祖父母等を指称し、「又は之に準ずるもの」とは右以外の相続人等を意味するものと解するを相当とする。

四、原審における被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人は小沢兼と婚姻してから小沢兼が死亡するまでの二十数年間生活をともにし、その間に前記四人の子をもうけ、小沢兼の死亡当時は、一家は同人の収入によつて生活していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

一方、原審における控訴人及び被控訴人の各尋問の結果によると、控訴人は父小沢兼が被控訴人と再婚したのち、間もなく生母のもとに移り、以来そこで育てられ、婚姻して現在に至つていることが認められるけれども、その間に経済的に或はその他の生活面で父小沢兼といかなる関係にあつたかについては、何らの主張もなく、却つて本件弁論の全趣旨よりすれば、控訴人は亡小沢兼とは全く居住生計を異にしていたのであり、兼の収入によつて生活し乃至はその扶助を受けていたものでないことを認めるに十分である。

以上の通りであるから、被控訴人及び小沢節子、小沢正明、小沢智子、小沢省三は、小沢兼の死亡当時に生活を共にし、その収入で生活していた妻と子であるから、遺族に該当するが、控訴人は、遺族に準ずる者(従つて第一次の受給権者のない場合に限り第二次的の受給権者となる)ということはできても、いまだ遺族に該当するものとは認め難い。

前示、甲第二号証、第三号証、原審における証人宇野邦房及び当審における証人中村隆昭の各証言によれば、訴外組合は被控訴人及び前記四人の子に対する支払として、本人兼代理人たる被控訴人に前記一、記載のとおりの死亡退職金を交付したことが認められるが、被控訴人等は、以上の説示により明らかな如く、自己の権利として小沢兼の死亡による死亡退職金を受領したのであるから、此の受領が不当利得を構成しないことは言うまでもない。

五、従つて控訴人の主張は失当であり、原判決は結論においてこれと同趣旨であるから、本件控訴を棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木忠一 谷口茂栄 加藤隆司)

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